豊川の霞堤を歩く Pentax K200
2009.05.31 くもり
豊川を守る住民連絡会議の行事で、豊川の右岸でかつてこの地域の洪水時に大事な役割を果たしていた「当古霞堤」を歩きました。
豊川の下流域はかつてから氾濫地域で、洪水による水害にたびたび見舞われていました。そのために江戸時代にはこの流域に9カ所の霞堤が築かれ、水害の低減が図られていました。一時の洪水の氾濫を堤内の遊水池で緩和する、いわゆる「低水工法」という先人の優れた知恵による治水技術でした。
近代になってこの遊水地域に農業が広がり、水害の危険性が高まることにともなって、住民から霞堤の締め切りなど治水対策が強く求められていました。
1965(昭40)年に、長年の念願であった豊川放水路の完成にともない、右岸側の霞堤5カ所が締め切られ、遊水地域は一般の農用地、住宅地域に変じました。現在なお、左岸側の4カ所の霞堤が活きて、治水の役割を果たしています。
今回は、締め切られている旧「当古霞堤」を歩いて、霞堤の役割、治水のあり方などを考える企画でした。
霞堤が締め切られたことによる地域内の排水をするための大規模な排水機によって堤内が守られていること、実際に歩いてみると霞堤は予想以上に頑丈な堤防が築かれていたこと、堤内には遊水時の水害を守るために「水屋」方式の家屋が残っていること、宝暦年代の災害を祈念したと思われる地蔵群が残されていることなど、いろいろ観ることができました。
現在のこの地域は、農業地域になっており、主として大葉や菊花などのハウス栽培とキャベツなどの露地野菜が栽培されています。
心配された天候もなんとか持ちこたえてくれ、2時間余りの有意義なフィールドワークでした。
その一部をスナップで紹介します。 Pentax K-mwで。
旧霞堤と現存の霞堤の略図
豊川放水路の分水施設
当古霞堤に向けて歩く
霞堤の堤内(右)と堤外の新興住宅地
霞堤の説明掲示版
宝暦三年の表示がある古い七体の地蔵群
遊水池内にある当古地区の神社前で
当古地区内にある水屋式住宅
霞堤内の農地
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